今読みたい!野沢尚のオススメ7作品『破線のマリス』
先日、野沢尚さんが亡くなられて、自分でもとても驚いた。
野沢尚さんの作品では、「突然亡くなる」登場人物が多いが、まるで野沢尚さんの作品のように「突然」亡くなった。
『作品を残すことは自分が生きていた軌跡を残すことだ。 』
と野沢尚さんは言う。
その彼が生きた軌跡を追ってみたいと、改めて彼の小説を読んでみたいと思った。
さて、1997年に発行された本も、今読むと違った感慨がある作品。この作品は「メディア側の人間からの内部リーク」や「犯人捜しのサスペンス」など色んな楽しみ方があるかと思う。
その色んな楽しみ方の中で、私は「事実を伝えることの難しさ」と捉えて、楽しんで読ませてもらった。
どんな“事実”を“誰”の視点で”どんな”情報を取捨選択するか?
そのことの難しさ。
冒頭で
郵政省の職員の麻生が登場する。
仕事中に彼の職場に携帯電話がかかってくる。妻からの電話で「子供の熱がひかない。氷枕はどこ?」と電話がある。そこから延々と妻の愚痴を聞くことになる麻生。
ここで麻生は「善良で堅実な郵政省職員」に写る。
しかし、そこから物語が進むにつれて、主人公の遠藤瑤子の視点。麻生の妻の視点。遠藤の後輩の赤松の視点。様々な「麻生」が描かれていく。
「結局、どの“麻生”を信じればよいんだ?」
しかし、それが「メディアにおける事実を伝える難しさ」と同様であることを、読み進めていくうえで気づく。
その時の「なるほど!」と唸る気持ちと言ったら!!
さて、終盤に主人公の遠藤瑤子は「ここに映っている私を、信じないでください」と言う。
今、それを読むとまた違った感慨がある。
今回の野沢尚さんの死に対して、メディアは色んなの見方で色んな切り口があるだろう。
ただ、そのメディアの切り口に対して、野沢尚自身が
「ここに映っている私を、信じないでください」
と言っているのだろうか?