俯瞰の人間関係を基本にすると、それに頼りすぎちゃわない?|野ブタ。をプロデュース
うん?TERUの右手。。。
TERUはやっぱりホワイトバンドをずっとつけているっぽいね?
こんばんは、はるとです。
さて、今日は1月の芥川賞の候補にもなった作品を紹介します。「野ブタ。をプロデュース』。タイトルの「野ブタ。」は「野ブタ」ではなく「野ブタ。」。
「モーニング娘。」を意識しているんでしょうかね?
■あらすじ
高校の人間関係を華麗に「こなす」、クラスの人気者の桐谷修二。そんな彼のクラスに「野ブタ」(小谷信太)が転校生としてやってくる。転校早々にいじめれる「野ブタ」。果たして、いじめられっ子は人気者になれるのか?桐谷修二のプロデュースが始まった。
■感想
桐谷修二の「余裕」。桐谷修二って、人間関係において「不良」とも「女」とも「教師」とも誰とでも「余裕」に絡んでいるじゃないっすか?
どのように桐谷修二は「余裕」に振舞っているか?
それぞれを「俯瞰」し、その場において「最適」に振る舞う。
「コイツにはこんな感じで振る舞うのが良いんだろ?」
って振る舞う。
いやー性格悪いっすねw
一緒にいて、居心地良いかもだけど、信用出来ないヤツだわw
で、その桐谷修二の「余裕」なんだけど、今作において結局、それが崩れることはなかったんだよね。マリ子だったり、野ブタだったりとの関係の中で、桐谷修二の「余裕」は崩れそうになるんだけど、いやーそれが決して崩れることはない。
俺が思ったのは、桐谷修二の中で「俯瞰」から降りてきて、「生」の人間関係をすることほど怖いものはないって思ってたんじゃない?
自分の「生」の感情をそのまま伝えることほど怖いものはないんじゃないか?
だって「その場において、どう振る舞うか?」というのを人間関係の基本としている人は、それに頼らない人間関係というのが難しいんじゃない?
どう見えるか?どう感じられるか?が分からないことほど不安なことはないというか。
なので小説内において桐谷修二は「恋愛」で、ずっと「俯瞰」していて、自分の感情を伝えることが出来ない。(ただそれに対して、落ち込むことはなく「余裕」を決め込んでいるけどw)
そんな弱い自分を認めることが出来ずに「いや、俺、恋愛のそういう暑苦しい人間関係が嫌なんすけどw」と自分をごまかしている。
なので、桐谷修二の途中の内容として「童貞」というのも、最初意外と思ったけれど、すべて読んでなるほど!と思ったというか。