人のセックスを笑うな
藤岡弘、の「、」って「自分が未だ完成せず」とかそういった意味が込められて
いるんだよね。
ってことは「ほっしゃん。」の「。」っていうのは「芸人として
完成されている」ってこと?
さて、今回読んだのは「人のセックスを笑うな」。一部で話題の作品だった
ので気になって読んでみました!
ただ、結論から言うと、わざわざ買って読まなくても良かったなーって
思いました。
まず、あらすじを見てみましょう。
19歳のオレと39歳のユリ。恋とも愛ともつかぬいとしさが、オレを駆り立てた。せつなさ100%の恋愛小説。第41回文芸賞受賞作。
と、この美術の専門学校に通うオレとユリの物語。
しかし、特に読んでいて、何か驚きを持たせてくれたり、新鮮に感じたり
するようなことをありませんでした。
いや、読んでいてつまんねーなと。
話の筋としても面白くないし、その描いている内容もつまんねーなと。
例えば、綿矢りさの「蹴りたい背中」って別に話の筋として変わったものでは
ないじゃないですか。
少女がちょっと変わった少年と出会うっていう話。
ただその話の中で、、、
少年に対する微妙な気持ち(好意と加虐性)の描き方
集団生活での「そういうことあるある!!」という共通性の描き方
そういうものなどが、非常に際立っているじゃないですか?
で、一方この山崎ナオコーラの「人のセックスを笑うな」はそういったものが
特になかったんですよね。
別に描きたいことがなくて、ただ「らしい」(文学作品っぽい)ということを
目指したんじゃないの?って思っちゃいました。
その「らしい」について、特に気になったのが、終盤の
もし神様がベッドを覗くことがあって、誰かがありきたりな動作で自分たちに酔っているのを見たとしても、きっと真剣にやっていることだろうから、笑わないでやって欲しい
という文章。
いや、唐突じゃね?と思いましたもん。この文章からどうやら「オレ」は
セックスに対して、コンプレックスのようなものを感じているのが
少なくとも読み取れるけど、
「えっ?そんなところあった」
と思いましたもの。
確かに、オレはセックスが上手じゃないと自分で言っている
記述が、あったけどそれに対してオレは少しも悩んでないように
思えるんだよねー。
もし神様がベッドを覗くことがあって、誰かがありきたりな動作で自分たちに酔っているのを見たとしても、きっと真剣にやっていることだろうから、笑わないでやって欲しい
これ自体の文章はとても素敵な文章で、自分もそんな文章を書けたらいいなと羨ましく
思います。ただ、それが小説の話自体から「孤立」してしまってその文章自体
余りにも唐突に感じるんだよね。
なので、この「人のセックスを笑うな」は文学作品っぽい、「部分」の羅列。
それが俺のこの作品の印象。